
入唐の謎
空海は804年、第十六次遣唐使に随伴し入唐しましたが、遣唐使は
合計十五回実行され、第九次以降、空海と同じコースで渡唐して往復と
も無事であったのは、わずか一回だけです。
空海の時も、往路四隻中、無事大陸についたのは二隻のみ、その一隻
に空海、他の一隻に最澄が乗っていたわけで、もし、どちらかが沈んだ
船に乗っていたら、日本の仏教ばかりでなく、文化や思想も大きく変わっ
たでしょう。
灌頂の謎
空海は初対面の恵果和尚(けいかわじょう)より灌頂を受け、正当の密教
伝承者となった。恵果は空海に遍照金剛(大日如来の密号)の号を与え、
弟子千人を越えて、空海を正嫡とした。唐皇帝の国師でもある恵果は、無
名の留学生である空海に、どのような光を感じたのであろうか。
阿刀家の謎
空海の父は佐伯直田公善通、母は玉依姫(阿刀氏)。父の弟、大足(おお
たり)は玉依姫の妹と結婚し、阿刀家の養子となり家を継いだ。阿刀氏は代
々学者の家系で、幼い真魚(まお)−空海の幼名−は大足から教育を受けた。
大足は桓武天皇の第三皇子伊予親王の侍講をしており、空海の大学入学や
入唐に際し、大きな助力をしたことだろう。こうした大恩に対し、後に大足が失
脚した際、保護し、死ぬまで身辺におき、報いたのです。しかも、その子孫は
明治初年まで京都東寺の俗別当を代々つとめ、家系は現当主:阿刀弘文氏
に至っている。空海が阿刀家を千二百余年にわたり、庇護してきたといえない
だろうか。
高野山の謎
現在の高野山は人口約七千の町であるが、これほどの人が千メートルの山
頂近くで生活が可能なのは、日本ではここだけである。空海は千二百年の昔、
ここに金剛峰寺開設を決意したのである。先見の明というにしては、見えすぎ
る。そんな人間がこの世にいるだろうか。
入定(にゅうじょう)の謎
『諸々ノ弟子等、悲号スルコトナカレ、素服(喪服)ヲ着スルコトナカレ、吾、入
定ノ間ハ、云々』と空海の言葉がある。
自分は死ぬのではないので、喪服をきて送ってはならない、入定するのだ。
しかもその月、日、時を予告し、そのとうり実行したのです。
そんな人間が他に存在したでしょうか。
北緯34度13分の謎
善通寺−空海誕生地
長安 −遍照金剛生誕地
高野山−入定留身の地
上記の弘法大師の三大遺跡は全て北緯34度13分の位置に有り、東西に一
直線となります。偶然の一致であろうか。あまりにもピッタリである。
四国霊場八十八ヵ所の謎
四国霊場八十八ヵ所巡拝がいつ頃始まったか、高弟の真済が空海入定後、
遺跡を慕って歩いたのが始まりといわれ、西行の《山家集》などにもみえ、古く
からおこなわれたことがわかる。
四国霊場をお参りする人を遍路という。何故人はお遍路さんになるのか・・・。
空海入定の時、
『居ヲ高野ノ樹下二トシ 神ヲ兜率ノ雲上二遊ス
身ヲ百億二ワカチテ 諸所ノ遺跡二分身散影ス』
と述べている。次いで、『私のことを念うて、私の名を呼ぶもの、私の形像(絵
像、木像)をみるたびに、それをほんとうの私だと思い、私の教えをきくたびに、
私から直接話を聞いていると思い、信じ教えに従うなら、そのものは、必ず摂
取して捨てない。』と言い残されている。